佐藤 新 神父 -ケニヤ管区所属

佐藤 新 神父

佐藤 新 神父

司祭叙階後、ケニヤ・タンザニア管区に派遣されてからの日々は本当にあっという間で、早くも四年が過ぎようとしています。こちらに来たばかりの頃は、みんなが何を言って笑っているのかも、何を聞かれているのかも分からず、ただニコニコしながらハイハイと言っていたスワヒリ語でしたが、今はさすがにそれでも何とかなっているような気がしますし、当初は戸惑うことの多かったこちらの人たちとの時間の感覚のずれも、今となってはそれ程気にならなくなっていることを考えると、やはり四年間という歳月が、ケニヤで働く神言修道会の宣教者としての私を、いい意味で変えてくれているのだと実感させられます。


ミサにて 平和の挨拶

ミサにて 平和の挨拶

私が生活しているナイロビのソウェト小教区に住む人々のほとんどは、ケニヤのあちこちから都市での生活や仕事に憧れて出てきたものの、それほど簡単に仕事が見つかるわけでもなく、日雇い週雇いの仕事をして何とか一家の生計を立てています。普段教会などで会って話をしたりすると非常に明るく、おおらかで、のんびりしているように見える彼らも、毎朝四時五時には起きて仕事探しに歩いて出掛け、仕事が見つかればそれをすませて夜遅く帰ってくるという、大変な働き者たちばかりです。


おどり担当の子どもたち

おどり担当の子どもたち

そんなソウェトには私の大好きなひとつの伝統があります。それは毎年祝われる小教区の守護聖人ヨアキムとアンの日、それぞれが持ち寄った食材をひとまとめにして大きななべで料理し、お祝いに参加した皆で分かち合って食べるというものです。自分のお皿を持って大行列に加わると、そこでは誰が何をどれだけ持ってきたのかというようなことは小さなことで、それよりも今日のミサの中で堅信の恵みを受けた子供たちの笑顔だとか、一生懸命この日のために練習した歌や子供たちの踊りのことなどが話題の中心です。そこにいる皆が兄弟姉妹としてひとつの喜びを分かち合う姿と、それぞれが背負っている生活の苦労や困難をありのまま受け入れ、それに感謝することのできる彼らの神への信頼がその根底にあります。

修道者、宣教者として与えられた場で生きていく際、日常的に起きる未知のこと、経験したことのないこと、時として想像したこともないような現実を柔軟に受け入れ、最終的には神への信頼を拠りどころとしながら生き抜く姿勢が必要とされます。このような基礎作りをする場として与えられたのが神言神学院での養成であったのだろうと、今のソウェトでの宣教生活を通して思うことがあります。

将来の宣教者の養成をいろいろな形で支えてくださっている方々への感謝と祈りを込めて。

2007年10月
佐藤 新

(2007年神言会養成後援会会報より転載)