暮林 響 神父 -アルゼンチン東管区所属

暮林 響 神父

暮林 響 神父

はじめに、どうにも日本語が不自然でもどかしいのですが、長く日本語でものを考えていないので、こちらのことを伝えようとすると、どうにも日本語表現がうまくできません。ごめんください。

私が所属している小教区は、ミシオネス州はポサダス教区に属する、聖テレジア教会です。アリストブロ・デル・ヴァリェという名の町で、ここは商工の中継地になっており、「落水と滝の天国」という売り文句で軽く観光の名所でもあります。

アリストブロの中心に、聖テレジア聖堂があり、ここに司祭館もあります。ここを中心に4キロメートル四方内に、10の小共同体があって、それぞれに聖体なしの小聖堂があります。今、新しい団地ができていて、そこにも、新たに「聖パンタレオン小聖堂」という聖堂が建設されようとしています。7月の27日が聖人の祝日だったのですが、野外、椅子なし、真冬の寒さに凍えながら、40人ほどの団地の人々が集まっておしくらまんじゅう状態でミサをささげました。こういう体験は、信仰を強めてくれます。
また、ここから3キロ以上離れたところにある共同体は20くらいありますが、すべて「コロニア(植民地、と訳されますが、一種の農業集落です)」の単位で、各コロニアにサテライト聖堂があります。

洗礼の秘跡を授ける

洗礼の秘跡を授ける

これだけの共同体数に比して司祭の数は2なので、司祭不足を痛感します。聖テレジア聖堂では手の届く限り、土曜日の夕方と、日曜の朝夕、平日の毎8時にミサがあります。サテライト聖堂と各小共同体のミサは、一ヶ月に一回だけで、それ以外に、月に一回、助祭や祭壇奉仕者、特別奉仕者の手によってみことばの祭儀が行われています。ただ、コロニアに入るには、赤土の道を行くことになるので、雨が降ると、残念ながらミサやみ言葉の祭儀をささげることができません。というのは、ぬかるむと、タイヤがはまってしまう、という、日本でアスファルト舗装される前の状態が繰り広げられるからです。多分、40歳未満の世代には、想像に難い光景かもしれません。私にも、4回くらいはまったり、すべったり、坂を上れなかったりと、はらはらする体験があって、今ではおとなしく「雨が降って道がぬかるんだら家にとどまる」という大原則に従っています。

平日は、家庭訪問と家の祝別や、病人への塗油、人生相談、結婚式の書類の整理、ゆるしの秘跡、通夜、埋葬式、毎晩の異なる小共同体へのミサに費やされています。水曜日の夜には、青年の祈りの集いに出ています。木曜日は11時半から30分、町のラジオ番組で、主任司祭と週ごと交代交代で福音のメッセージや、その週小教区として伝えたいこと、教区のイベントの説明などを発信しにでかけています。金曜日の朝は、月に二回、神言会司祭が創立した町の農業学校に、ミサをささげにでかけます。土曜日は、夕方のミサの前に、青年会に付き添っています。個人的に、週に一回は町の病院に行って、宗派を問わず入院中の病人を訪問しよう、という意向があるのですが、週の仕事量によっては病院訪問できないときもあり、胸が痛みます。

病人訪問の担当者たちとの話し合いの中で、月に一回家から出られない病人の家でミサをささげよう、というアイデアが生まれ、今月、はじめて集まってみました。計画では月ごとに別の家を訪れる予定ですが、軌道に乗ればいいなぁ、と心から思います。

神学生時代、アルゼンチンで司牧実習を行った

神学生時代、アルゼンチンで司牧実習を行った

司祭の休日というのは、火曜日になっているのですが、しょっちゅう地区の司祭集会や神言会員のゾーン集会があるので、実質的にはそれほど「休みの日」というのがありません。

ここには、「家庭要理」というシステムがあり、まず要理担当者が初聖体を迎える子供の両親たちと、その週伝えるべき要理の内容をまた分かち合い、両親は翌日、子供たちに要理を教え、子供たちは土曜日に高校生くらいのお兄さんお姉さんのリーダーの指導で、その週の要理のテーマを基にした遊びや歌、祈りをするために集まります。これが二年間続くのですが、こういう集会にもたまに顔を出しています。13歳から15歳くらいの子供たちは、堅信の準備のために二年ちょっとのコースに集まるので、彼らのグループにも時間のゆるす限り顔を出しています。

今は、召命担当者グループの一員にされたので、召命募集の活動もぼちぼち始めています。新しく、歌も作ってみました。まだ普及中なので、これがどういう益をもたらすか、楽しみです。

サテライト共同体のミサには、ギター伴奏者がいないことが多いので、少なくとも入祭の歌、栄光の賛歌、アレルヤ唱、感謝の賛歌、閉祭の歌はギターを弾きながらミサをささげています。最近は、要理担当者の願いに答えて、堅信のグループの本についている聖歌、祈りの歌、全26曲を、ギター弾き語りで録音してCDにしました。一枚二百円くらいなので、好評発売中です。

主任との共同生活は、波乱万丈を経て、今はとても仲良くやっています。朝7時に一緒に朝の祈りを唱え、朝食を共にし、それぞれの仕事をして昼食を共にするために集まり、シエスタ(昼寝)をし、午後の活動をそれぞれし、ミサもそれぞれ大概は主任が聖テレジア聖堂で、私は各小共同体でささげ、夜特にほかの活動や訪問がなければ夕食を共にします。たまには隣町の兄弟会員と食事を共にすることもあります。兄弟会員同士の仲の良さは、格別で、すごくはげみになります。

同じく、神学生時代

同じく、神学生時代

年に一回管区総会があるのですが、これは、代表者だけではなく、管区の会員全員の集会なのです。文字通り、「総会」。毎年90パーセント以上の会員が、自分の小教区の活動を信徒に任せるか、キャンセルし、また、教育担当者もほかの職員に信頼して、管区総会に参加します。それが、ただ議論をするためではなくて、むしろ一緒に食事をしたり、卓球やトランプをしたり、と、そういう会員同士の兄弟的感覚を養うためにささげられているので、なおさら日本でも育みたい姿勢です。それ以外に、クリスマスの後にも、12月26日、27日は、「ファミリー・フェスタ」と呼ばれる会員全員の交流の場が設けられていて、ただ家族として一緒に時を過ごすために集まります。

会員としては、兄弟同士の一致と、宣教の精神の高揚のために、できる限りのことをしていますが、それに加えて叙階の恵みを受けた者として、聖香油を注がれた手の使い道に特別な気を使っています。この手が常に聖別されたものであるために、奉仕に役立つことがあれば雑巾でもほうきでもつかむようにしているし、祝福を求められたら、気兼ねなく按手できるように、罪を犯すすきができないよう細心の注意を払っています。

罪に対する断食(要は、罪の拒否ですね)がしっかりとされればされるほど、司祭は限りない癒しの器としてイエス様に活用してもらえるのだと、人々と、またイエス様とのかかわりを通して痛感します。日々の回心、頻繁な赦しの秘跡、秘跡の執行、祝福への誠実さ、目線や言葉遣いへの注意、こうしたことを通して、イエス様がより効果的に人々の心に触れていくのを見るのは、本当にすばらしいことです。

2007年10月
暮林 響
(2007年神言会養成後援会会報より抜粋)